profile 根城浩

「地球環境の汚染によって生き物が犠牲になる。」

小学生のころのに教えてもらったことが心に刻まれて 環境に関わる学びを始めることになりました。

学生時代を通じて常に環境を学びながら、社会人としては東京消防庁に就職をしました。 幸運にも自然が多い地域に勤務をすることが多かったのですが、都内の本部勤めになり自然が見えない状況になったときに 違和感を感じるようになりました。 2011年の大震災を経験を通じて、より環境に対する意識が高まって、職を辞してその道を志すことになりました。

2017年に自作の堆肥によって汚染状況を改善し、蛍の生活圏をつくるという方法にたどり着き、1年がかりで上尾市丸山公園の蛍再生を成功させたことを契機に、他所でも成功をさせることができました。

開発開始から6年を経て、堆肥の可能性に自信を持ってきましたので、これを世に広げていき、持続的な環境再生に結び付けていきたいと考えています。


1978年7月12日
青森県弘前市生まれ

1990年

小学校6年生のときの学活で
担任の先生が環境問題について
取り上げる。
それがきっかけで環境問題を
注視する人生が始まる。

1993年 中学生
同級生からの言動を受け
“日本拳法”という格闘技を始める。

1996年
日本拳法高校生大会で優勝
その他の一般の部でも成績を残し
格闘技の全国誌に載る
 
1998年
環境問題よりも格闘技を取る。
当時日本拳法大学No.1の
中央大学にスカウトされ入学
 
選んだのは
経済学部国際経済学科
在学中は図書館に行き
経済よりも環境問題を調べる。

2003年
なぜか日本拳法で日本代表
日本拳法フランス国際大会日本優勝
 
2003年8月
東京消防庁に合格
 
2006年11月結婚
東京都あきる野市に転居

2007年4月
超厳しい先輩に仕事を叩き込まれる。
文字通りボコボコにされる。

2008年1月長女 誕生
早くに死に別れた母の名を含めて
“愛”と名付ける。
 

2011年1月
精神的に追い詰められ
会社の相談室に連絡して
精神病院に行き“鬱病”と診断され
抗うつ剤・睡眠薬・胃薬の毎日となる。
 
2011年3月
東日本大震災が起こる。
福島原発メルトダウン、放射能漏洩・放射性廃棄物。

人生の在り方。
人としての生き方。
自分が望む人生を見つめ直す。

2011年
現状に迷いながら、拳法のコーチ、自己啓発セミナーなど通いながらも
頭の中には環境問題のことが常に頭が離れないことに気付く。

2012年3月
東京消防庁を辞める決意をする。

2012年10月
人とのつながりから、福島県にて放射線汚染をクリアできそうな資材と出会う。

資材の活かし方を常に考えながら、自営業としての試行錯誤の期間を過ごす。

2013年7月
資材を活用した蛍の飼育を試みたことで、自身としてのビジョンのきっかけをつかむ。

2014年
アッピースマイルサポーターとして小学校の仕事を手伝う。子供たちととても親密になれるも、大人の組織に馴染めない自身に気付く。

人の気持ちを理解したいと思って、市議会議員の方と交流を持ち、人間関係について学び始める。
実際に自身も市議会選挙に出馬する。(残念ながら当選せず)

2015年
障害者の就労支援の仕事を通じて自然農法と出会い、堆肥づくりを学ぶ。
それをベースにオリジナル堆肥の開発をスタートする。

2016年
上尾丸山公園内の蛍の里にて奉仕団体が蛍の再生プロジェクトに頓挫していたところ、自身の今までの経験からのオリジナル堆肥によって再生が出来るビジョンが浮かび、挑戦を申し出る。

同時期、農園でオリジナル堆肥を使ってもらう事になった。

2017年
蛍の里に毎週のように通い詰めて、5トンの堆肥を製造して投入したり、タニシを放流したりと、環境改善からの蛍再生を試みた結果、その場所で13年実現しなかった蛍再生を、成功させる。

また、堆肥を導入した農園での高品質、多収穫を成功させる。

2018年
蛍の成功によって様々な声を頂くようになり、複数の場所で蛍再生活動をする。
500坪の農地を借りて、自身の堆肥を利用した農作物の生産を開始する。

2020年
コロナ過の中で、農に興味がある人が増えて、農園で様々な人のつながりが出来る。

2021年
2ヵ月間、農園でアウトドア暮らしを経験した後、活動スペースをSomen Houseに移す。

2022年
7年目にして、ほたる堆肥として自信と生産が形になり、試験も行いサービスを開始する。

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